四百年ぶりの特別な月食ということで、ほとんど寝たきりの母を少々強引に車イスに乗せて、自宅前の道から欠けた月を仰ぎ見た。おお、黄と朱、大小二つの三日月が重なっているよう。
乱視の私は初め我が目のほうを疑ったが、近所の家の2階の窓辺から子どもが「スイカとメロンみたい」と言ってる声が聞こえ、なるほどそうも見えた。
母は手を合わせ「きれいなお月さまが見られてありがたい、ありがたい」と何度も言い、そのうち涙声になる。母にとっては、それが普段の月と違っているかどうかは眼中にはなく、ただ今夜思いがけず月が見られたことに感激してるかに思えた。
齢九十を超え、おそらく一人息子と並んで見る月はこれで最期になるとの母の予感が、私自身の中にも込み上げてきた。
親子に残された時間を愛おしむ気持ちはお互い言葉にならないが、母が月に向かってつぷやく感謝とも御礼とも聞こえる言葉は、私の目や心の中でも同じように反芻(はんすう)され、私は二つの月をぼんやり見ながら母の肩に手をおいた。
(2022年11月9日)
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