戦艦大和を知ってるか、などと現代の日本人に問えば、バカにするな、何なら宇宙戦艦ヤマトの主題歌も歌えるぞ、と言われそうだが、じつは戦時中には「大和」という名前はおろか、その存在を知る国民はほとんどいなかったのをご存知だろうか。
もちろん軍幹部政府関係者の間では、戦況を好転させ新時代を切り拓くであろう不沈戦艦として期待されていたろうし、報道側の一部にはうわさは漏れていたらしいが、わけても建造中には、造船現場となった{呉|くれ}の港が見下ろせる高台に板塀をめぐらすなど、敵国にバレないための措置とはいえ、今から思えば滑稽にも見える秘匿工作の内側にあった。
板塀はかえってその先の秘匿物(巨大戦艦)に衆目を集めることになろうから、実際に隠し通せたかは疑問だが、むしろ国が戦前から本腰を入れたのは、人々の口封じのほうである。
「言論出版集会結社等臨時取締法」(一九一六年)「戦時刑事特別法」短く「新聞法」ほか各法律をつくり、国策に反する目障りな者に対して、「赤」「売国奴」「非国民」などのレッテルを貼って弾圧し、時に逮捕し、みせしめによって庶民の言論を押さえ込んだ。
そのいっぽうで、ご存知大本営発表の「日本の連戦連勝」「戦況は上向き」といった虚偽報道を、テレビのない当時主要メディアだった新聞や映画上映の折に連日流し続けて、国民自らが正義を語る「世論」をつくったことはよく知られていよう。
私の祖父母の話では、各家庭に対しても、町会や隣組を通じて、同じく国威発揚と生活規律に関する回覧板が頻繁にきたという。今でも商店街の各所にかかる横断幕と同じ場所に、映画館のポスターの脇に、配られたカレンダーなどにも、必ず国策に則したキャッチコピーがあった。
「ぜいたくは敵だ」
「欲しがりません勝つまでは」
「進め一億火の玉だ」
などは戦後の教科書にも載って有名だが、このほかにも「汗で増産、感謝で節米」「強く育てよ召される子ども」「古釘も生まれ変われば{陸奥|むつ}{長門|ながと}(注・戦艦名)」「働かぬ手に箸もつな」「生産、増産、勝利の決算」「米英を消して明るい世界地図」「うれしいな僕の貯金が弾になる」「聖戦へ民一億の体当たり」「デマはつきものみな聞き流せ」といった具合に、*新しい標語*が社会の隅々に行き渡っていたそうな。
どれも五七調の詩歌の伝統を活かし、と言えば伝統に失礼かも知れないが、日本人の血肉に入り込みやすい、口にして心地よい、語呂のいい言葉は、もちろん時代ごとに異なり、為政者にとっては国民を統制する強力な武器にもなっただろう。
そして、言葉狩りと裏腹の、思わず人々の口をついて出る「標語」や、人の目による「監視」は、なにも国家権力やその配下が直接手を回さずともよいところがミソでもある。
納税者たる大中小企業をはじめ、勤勉な日本国民自らが、新聞に見る国策にそって周囲をうかがい、自発的に行動し、新たな標語も生み出し各所に掲げるようになるのだ。
さて話を大和にもどそう、
いくつかの戦場におもむいた大和はというと、ほとんど巨艦として期待された威力を発揮する場もなく、建造就役後三年数ヶ月にして、最期は鹿児島県坊ノ岬沖で敵の魚雷何十発かを受けつつ、おびただしい数の戦闘爆撃機の波状攻撃に耐えながら二時間余りで沈没した。
その二日後の一九四五年四月九日付の朝日新聞は一面で、
「沖縄周辺の敵中へ突撃 戦艦始め空水全軍特攻隊」
と沈没の事実すら隠し、毎日新聞には、大本営発表として次のような見出しがある。
「我方の損害、沈没 戦艦一隻、巡洋艦一隻、駆逐艦三隻」
記事の中でも名は伏せられ、損害も故意に過小にしたか、後年の記録によれば、この戦艦一隻というのが大和で、実際には矢矧・磯風・浜風・朝霞・霞の計六隻が沈み、帰還した四隻のうち、涼月は大破、というのが今はウィキペディア(ネット上の百科事典)にも載っている。
日付を二日程もどして、大和が沈んだ日つまり四月七日には、後日終戦処理にあたることになった鈴木貫太郎内閣が発足し、親任式の後の控え室で大和沈没の報をうけ、「戦況は此処まで逼迫していたか」と嘆いたとか。
時の総理大臣ですら、かかる時代の波の中では、本当のことはギリギリまで知り得ないのだから、庶民など竹ヤリでB^29^を落とす訓練に励んでいたとしても不思議ではない。
大和の存在と沈没した事実を国民の大多数が知り得たのは、戦後どれくらい経ってからかは定かではないが、敗戦直後八月末には、戦勝国への設計図の流出を防ぐ目的からか、戦艦四隻(山城、武蔵、扶桑、大和)、空母四隻(翔鶴、信濃、瑞鶴、大鳳)が帝国軍艦籍から除籍され、多くの記録文書が破棄されている。
私の祖父母ほか親族が最初に大和の船影写真を見たのは、一九五三年頃に封切られた映画「戦艦大和」のポスターが最初で、こんなりっぱな戦艦が日本にあったことに妙に感心しびっくりしたそうな。
そこから十数年後、私の子ども時分(一九六十年代中頃)には、まだ小学生の間では戦争ごっこの遊びは残り、白衣に軍帽をかぶる片足の{傷痍|しょうい}軍人さんが、上野の松坂屋デパートの入口通路に座ってアコーディオンを弾いていました。
前に置かれた箱に小銭を入れてくる役目にされた小学生の私は、元軍人さんのギプスの義足が恐ろしいだけで、そこから戦争の何たるかを読み取るでなく、家では大和をはじめとする軍艦の美しい船体や繊細な部品の数々に心ときめかせては、NBK製や田宮製のプラモデル「大和」のみならず大小何隻かの軍艦作りにはげんだ。
大和の主砲は世界最大の46センチ砲三基九門、全長二百六十三メートル、その幅三十九メートル、排水量は七万二千八百九トン、速力27ノットとか、当時はすべて諳んじていたほどです。
それでも乗組員三千三百人余のうちの約九割、二千四百九十八名(二千七百四十名との記録あり)が撃沈時に亡くなったことなど、長じてのち戦記本を読むまでは全く感心がありませんでした。大和の最期に思いも至らず、小学生の私が自慢げに友達に見せたり話したりした大和は、大和ではなく、大和の模型だったのです。
戦艦大和に見るべき戦果はあるのか、建造費は今のお金でいくらなのか、と幼稚な私は疑問を持って、いまならネットですぐに調べられるが、戦時中はどこでなにが行われているのか、海上にあれば隠しようもない巨大な戦艦大和のことですら、当時の国民のほとんどは知るよしもなかったのです。
その国民はといえば、大本営発表を信じて疑わず、疑っても口には出さずに、巧妙かつ広範にわたる情報統制のもと、学徒出陣に万歳を叫び、こぞりて鬼畜米英を口にしていた人々は、終戦を境に、一転して戦争を全否定、平和を唱え、欧米にあこがれ、あろうことか元日の家々の門口に日本国旗、日の丸を掲揚することすらやめてしまった。国家斉唱に反対する教師もが子どもに何事かを教える始末。
こうした戦後教育を受けた一人でもある私とて、聞きかじる戦前戦中の日本人の暮らしぶりは、今だからこそ奇妙に映り、人ごとのように書いたりできるものの、{翻|ひるがえ}って二0二二年の、即今この自分の足の震えはなんだろうか。
思えば、新聞が戦争賛美して部数を伸ばした戦前と戦中とが地続きであるように、晴れて戦時体制とは断絶したかに見える戦後現代民主国家日本もまた、一ミリの途切れもなく地続きだったと、呑気な私はこのコロナ渦の報道の恐るべき偏りによって気づかされたからか。
こんどは国と国との戦争ではない。
B^29^も飛来せず、巨大な船影を隠す必要もない。飲食店はつぶされるが餓死者もでない。出征もなく、弾に当たって死んだ者もいない。なにより敵の姿がおぼろげに見えたところで、どうすることもできない大がかりで巧妙な諜報戦争だ。
爆弾の代わりに毒物がばらまかれたかどうかは別にして、結果、国民の健康や命を守るといった大義名分のもと、あろうことか国家自体さらには国民自らが敵に加担し、敵の先兵になりはて、ついには子どもまでが標的になる厄介この上ない世界規模の洗脳波状攻撃である。
遺物としての戦艦大和の情報には自由にアクセスできる現代のネット社会においても、私たちは新たな戦争の設計図に容易にたどり着けないのは、言うまでもなく情報を握り操作するのがこの新しい戦争の本質であり、これを制するものが勝つのだ。
勝つとは何か。
それは勝者が考える勝者に都合のいい新たな世界の状況への移行である。
このままいけば、当時と同じく新聞(テレビ)が「もう平和ですよ」と言うまでは、つまりは次の終戦の日までは、私たちは同じようにあたりをうかがい口を閉じ続けるはめになる。そうなっていいのか。
ご存じ孫子の兵法には、「敵を知り{己|おのれ}を知れば百戦して危うからず」というのがある。
もし私が敵陣の将ならば、日本国の官民の要人を{懐柔|かいじゅう}し操るための工作は必ず実行するであろうし、むろん目立つ非常時には控え目に、平和とおぼしき平時に布石を打つ。
わけてもマスコミの幹部や幹部候補に対してはイの一番に、金、広告、株式、人事人脈、ハニートラップ他、弱みにつけこむあらゆる手段を講じるに違いない。いざという時に操れるよう長期的なおつきあいに持ち込む。
いや、日本人はそこまで落ちてはいない、と誰しも思うだろう。民間はともかく日本の官僚組織はしっかりしている。皆が皆そんな甘い工作にひっかかりはしまい、と否定する人もあろう。
ところが厄介なのは、こうした「人の欲望」への働きかけが空振りに終わりかけるも、最後に(あるいは最初に)放たれる敵さんの殺し文句が急所をつく。たとえば今回なら、
「国民の命と健康を守るために、くれぐれもお願いしますよ」
見た目には何の変哲もない正義のフレーズだろう。まったくもって耳障りのよい「お願い」、これこそが最強の{楔|くさび}だ。(もちろん私は直接聞いたことはないが)各界トップはこの大義名分あるいは錦の御旗を得て、敵の思惑通り誰にとっても悪気なく見える*正しい*命令を下すことになるのだ。
なかには確信犯もいるだろうけれども、そのほとんどが、この手の錦の御旗をふところに、先々なにかあっても責任は自分にはなく、それ以後の自己の行動を正当化する。
反論の余地のない正しい命令を受けた側近も、同じく錦の御旗を部下に渡す。部下は次の手下同僚に、あるいは配下に指示または外注する。こうして「国民の命と健康を守るために、お願いしますよ」が全国津々浦々に伝播していく。もう誰にも止めることはできない。
冒頭でも述べたように、かつて「日本国勝利のため」との大義名分のもと、国は、巨大な戦艦大和の存在を隠すため港が見える高台に板塀をめぐらし、小さな節穴を塞いでもなお覗き見する人々や子どもを取り締まったという。
いまでは笑い話にもなるが、見方によっては、この隠されているものを見ようとする下世話な庶民の根性こそ、よくもわるくも庶民による庶民のための庶民を守る力の源泉にほかならない。
このコロナに限らず国の政策決定の要所要所において、日本晴れの今日この瞬間にも、水面下では巧妙な裏工作が国家中枢の、社会の要の、「あの人」に迫っている可能性を知り、「あの人」とは誰か、その先の指示命令・通達・示唆、根まわし、「お願いしますよ」の耳うちや忖度が、いったい社会全体にどのように広まっていくのか、すでに広まっているのか、まずはテレビを消し、家庭が無理なら近所の飲み屋などで{喧々囂々|けんけんごうごう}話をしてみようではないか。
ほとんど勝ち目のない戦いだが、いまや数少ない本物の医師科学者らの命がけの発言と、YouTuberやブロガーといった板塀の節穴を覗いて事実を語ろうとする新しい人と人とのつながりでしか、未来を担う子どもたちを守る手立てはないように思われる。
西風と大和こえくる高波に 子らを守らむ日の本の人
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kindle版『コロナ狂歌集サイタサイタ』より転載
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