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  • 執筆者の写真加賀山 耕一

[10]コロネの食べ方

更新日:2022年8月10日

子どもの頃にさんざん食べた菓子パンに「コロネ」がある。

巻き貝のような円錐形をしていて、語源は「角笛」、イタリア語で「corno」だそうな。


中身にチョコレートのクリームが詰まっているのだが、このチョコの詰まり方は巻き貝の太い方に集中しており、か細き先端の方はパンのみで仕上がっていて、チョコの気配すらない。


子どもながらに迷うのは、まずは先端ねじねじの細パンから食しチョコクリームを温存すべきか、それとも末端口から顔をのぞかせるチョコクリームを少し押しだしなめたのちパン本体から食べるべきか。これが問題なのである。

つまるところ幸いを先に味わうならチョコ。

後に残すなら先端ねじねじ。

嗚呼、人生の迷いはコロネにはじまると言っても過言ではなく、私は毎回のようにセロファンで防護された末端口と先端とを見返し見返し、いずれを最初に食するかについて小学生なりに思案をめぐらしたものだ。

当時、私の友人を見るに、なにも考えずにチョコ側から一気にかぶりついて口の周りを汚す者あれば、また、そんなことはどっちでもいいとばかりに先端とチョコ側を交互に食して恥じない者、まったくもって呑気きわまりないと私は無傷のコロネ片手に思ったりした。


ご推察のとおり、ことは尻尾から食べるか頭から行くかといった「鯛焼き」に対する逡巡に似ているとはいえ、コロネには動物愛護の念といったヤワな基準もつかえず、ただ抽象に対する独自の見方感性を問われて簡単ではないのだ。

私は人がこだわることにこだわりがない分、人がこだわらないところに妙にこだわり、世間の常識と意味なく協調する気は昔からない。

それが証拠にこれを言うとまたあきれられるに違いないが、自宅でトイレに行ったあとに手を洗ったことがない。

外出先では仕方なく洗ったふりはすることもないではないが、まじめに洗ったことは一度もない。

ついでに言えば、私の家にはシャンプーがない。

歯磨きチューブがない。

台所に中性洗剤がない。

市販の洗濯洗剤もない。

おそらく普通の人の家や頭の中に常備されている様々なものがないと思われる。

もちろん私は毎朝毎晩歯みがきするが、ようは世の中の人たちがやっているように口の中に飲めもしない洗剤を入れてブクブクし吐き出すなどという野蛮な行為はしたことがなく、それを知った友人が逆に「カガヤマくんは野蛮人」と言ったのは遥か50年以上も前の話で、以来私には密かに野蛮人の自覚がないでもない。

さらに言えば、42の厄年まで頭髪は固形石けんで洗っていたが、ハゲるにおびえて徐々に石けんすら使わなくなった。

したがって、はからずも温泉に行った折など、シャワー栓の付いた洗い場の鏡の前には似たようなボトルが2本ずつ置いてあって、これを前に迷いなく分別使用している先達を目撃、最近は大小3本も居並ぶに至って、もはや私はその前に座ることすら憚られ緊張を強いられるくらいだ。

恥ずかしながら何年か前に上記の話を心許せる知人に吐露したところ、

「カガヤマさん、お風呂で身体は石けんで洗いますよね」

と聞き返されたから、私は正直に答えた、

「もちろん、1年に1回か2回は石けんで洗います」

じつは私も、普通の人が毎日お風呂で石けんを使って身体をゴシゴシ洗っていることくらいは薄々知っている。

そして私の日常生活の一端を話す人ごと、「石けんで洗ったほうがいいんじゃないですか」という目つきで私の顔をまじまじ見ることも知っている。

鈍感な私にも彼または彼女の言わんとするところはよくわかり、つまり「石けんを使わないあなたは不潔です」と明言したいところを、私に遠慮しぐっとこらえている訳だが、四半世紀に及ぶ習慣とは恐ろしい。

私は人生で何度かそのような目つきに遭遇しながらも、厄年以降、手も身体も頭も水か湯だけに頼り、ここぞというとき以外は石けんを使わずに来た。

で、同時によく聞かれる「腹痛」だが、15年くらい前に自ら調理し生焼けか怪しい豚肉入りお好み焼を食べたことによるサルモネラ菌由来が最後。

あれは辛かった。吐き気下痢39度の発熱で悪寒、死ぬかと思った。

ともあれ、やたら手を洗わなくたって人生なんの問題もないと私は確信するのだが、いまや世の中は手を洗え洗えの戦時体制なので、私は手を洗わない信念を隠さねばならず、テレビに押された老母から「帰宅後は必ず手を洗って」と人生で初めて懇願されたから、今度は一転徹底的に洗うよう心がけている。

ススメに応じて、

「♬もしもし亀よ亀さんよ・・・」ここ1番歌いきる約15秒間、しっかり水で流しながら。

世も末だ。

さて、手を洗って何をしようか、と考える。

顔も洗うか、と思って洗ってみた。

なにを洗ったところで「人と会うな」とのお達しだから、昼過ぎといえども電車に乗って千住の街にも行けない。

世も末だ。

近くのパン屋にコロネを買いに行くという結末を考えついたとき、そういえば欧米の感染者が日本と桁違いに多いのは、パン食も一因では、とふと思った。

食前に手を洗ったことのない不埒な私が言うのもなんだが、非常時でなくとも、素手でパンを食べるのなら食前に手は洗ったほうがいいような気もする。

コロネのような菓子パンなれば、ありがたくも本体の大部分を袋の中に残し、少しつ袋の端から出しメメしく食べ進めるのが現代日本国民に求められる態度なのか。どこから食べるかの迷いは失せるも、その代わりに、どうやって食べるか、どうやって食べて行くのか、今や私にはそれが大問題なのである。


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kindle版『コロナ狂歌集サイタサイタ』より転載




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